境内大國社(夫婦大黒)判金 重 4.01g 尺寸: 29.73㎜×19.55㎜
第十五番納礼社:夫婦大國社(めおとだいこくしゃ)
御祭神:大国主命(おおくにぬしのみこと)様.須勢理姫命(すせりひめのみこと)様
御神徳:夫婦円満.良縁.福運守護の神様
御例祭:十一月十六日
若宮十五社めぐりに入れてしまっても良かったのですが、思ったより写真を撮っていたので、夫婦大國社だけ別ページにします。
唯一の神社の方がいらっしゃる場所で、絵馬やお守り.占いなどあったのでつい長居をしてしまいました。
十四番までの納礼社めぐりとは違って大きな建物がある夫婦大國社。まさか、ここがスタートは知らず、適当にめぐってきてしまったので家に帰ってから公式HPを見て残念な事をしてしまったなと思いました。
恋心 願いをこめて 神様へ(向大國社〞夫婦大黑〞祈求戀愛成功)
初穂料:200円
面白そうな占いを見つけました。今まであちこちのお寺めぐりとかしてますが、このような占いは初めてなので折角なのでやってみる事にしました。
まずは、説明書きをしっかり読みます。
- 初穂料を授与所にお納めください
- 心をこめて一枚お選びください
- 水占所にて水占いを浸してください
- 読まれました水占いは納所にお納めください
大國社〞夫婦大黑〞的水占卜
説明書きを読んだ後、授与所で初穂料200円を払い占ってみる事にしました。
鹿の絵も書いてあるところが、いかにも って感じですね。
ハートが沢山書いてある部分に占いの結果が出るようです。
大國社〞夫婦大黑〞大門前的水占卜用的水池
夫婦大國社の入口の横に置いてあるます。この中の水に浸して占い結果を知るようです。ドキドキしますね。くじ運は、あまり良いほうではないので凶とか出たらどうしようかなと思いながら。
『いい結果が出ますように』
と祈りをこめて水占いの水の中へ浸してみます。
把求到的簽浸泡在門前的水池 :簽遇水會顯示出結果(吉凶,願望,戀愛,學問等內容)
大きな文字で『大吉』と出ました。他に書いていた事はというと
- 恋愛--素晴らしい出会いの機会あり備え万全に
- 願望--近いうちにかなう 焦らずに機会待て
- 学問--しっかりと目標を立てこつこつと励むべし
いいことづくしですね。やってみて良かったなって思いました。
大吉って文字を何年ぶりに見たかな.などと考えてしまいました。
看完把它放在簽回收處 : 簽乾燥後字也就消失,不擔心被他人看到。
沢山の方が、この占いをしていった跡です。占った後は、ここに占ったおみくじを納めておきます。
乾燥すると文字が消えてしまうので、他の人には占い結果が見えないんですよね。なかなか良いシステムです。
それにしても良い結果を得たものの何を備えたらいいのか考えないといけませんね。
[神社參拜作法]
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神社の鳥居前で、本殿に向かって一礼。
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御手洗(みたらし,水屋(みずや)とも言う)において、以下の作法で身を清める。御手洗がなかったり水が涸れていて使えない場合は省略します。
① 柄杓を右手に持ち、水を合(柄杓の器の部分)に一杯になるまで入れます。
② まず1/5程度の量の水を左手に掛けて洗い清めます。
③ 柄杓を左手に持ち替え、同じ要領で水を掛け右手を洗い清めます。
④ 柄杓を右手に持ち替え、左手に1/5の量の水を受け、左手に溜めた水で
口を漱ぎます。金具の部分に直接口をつけてはなりません。
⑤ 再度左手を洗い清めます。
⑥ 最後に金具が上になるよう柄杓を傾けて残った水を柄に掛かるよう流し、
柄杓を清めます。
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拝殿を参ります。
① 賽銭を納め、鈴を鳴らします。
② 姿勢を正し、二礼。45度から90度、上半身を屈めて二回お辞儀をします。
③ 二拍する。まず胸の前で手を合わせてから気持ち右手を手前にずらして
二回手を打ち鳴らします。その後手を揃え合掌します。
④ 最後に一礼。
いわゆる二拝二拍手一拝です
-
境内から退く際、鳥居で本殿に向かって一礼。
二拝二拍手一拝という作法を聞いたことがあると思います。
これは神社における一般的な作法と言えます。
神宮もお稲荷さんも八幡宮も天満宮も「神社」ですから、参拝作法は
二拝二拍手一拝で良いでしょう
同じ神社でも出雲大社の参拝の作法は
二拝四拍手一拝です
奉拜 :世界遺產(古都 文化財)
:世界遺産
古都 の文化財
1998年12月、 は『古都 の文化財』のひとつとして、ユネスコの『世界遺産条約』に基づく世界遺産のリストに登録されました。
全世界の人々のために保護すべき遺産として、特に優れて普遍的な価値があるものが、このリストに登録されます。
実は世界遺産だったという事を知らなかった恥ずかしい 県民です。
一之鳥居より東へ約1.2kmに位置し、平安末期の創建。この鳥居をくぐればいよいよ神域の感が強くなります。心静かに進みましょう。
境内のイチイガシ巨樹群
市指定文化財
現在、 境内にはそれを物語るように幹周三メートルを越えるイチイガシの巨樹が多く育成しており、学術的にも環境保全の上からも重要な存在です。 が創祀された八世紀頃には、御蓋山の麓から飛火野にかけてイチイガシを優占種とする照葉樹林がひろがっていたと考えられています。
鳥居
参道は神様のお通りになる道でもあります。中央を歩むことをご遠慮申し上げます。鳥居は神聖な空間を示す結界です。神社の鳥居の前で一礼します。
手水(てみず)
お参り前に身を清めます。神社の場合は略式の禊(みそぎ)となります。ひしゃくに水を取り左手の次に右手を洗い、そして左手に水を受けて口をすすぎもう一度左手を洗い、後の人のためにひしゃくを立てて柄を洗います。手と口は人が最も罪を犯しやすいところなのです。
賽銭を入れる
神仏にお礼や願いの気持ちを込めて供えるものなので、投げるのは失礼にあたりますし、人にあたると危険です。賽銭箱の前まで行って心を込めながらそっと入れましょう。
拝礼
神社では二拝二拍手一拝
※神社によって参拝方法が異なる場合がありますので、その旨の表示に従いましょう
深々と二礼
拍手を2回※この時右手を少し下にずらし、そして祈りを捧げます
深々と一礼
鳥居って真ん中を歩いてはいけないのですね、初めて知りました。つい真ん中を通りたくなりますよね。
祓戸神社の傍の立て札には写真を見ての通りですが『手水所にて手と口を清められその後、左手の祓戸神社にてお祓いをされましてからご本殿へお進みください』と書かれています。
神社でもお寺でも手と口を清めるのは一緒ですね。
実は私は手を清めるのはいいのですが、うまく左手に水を受ける事が下手で口を清めるという事がいつも出来ていません。
たまに参拝の仕方が違う神社があったりして、参拝の仕方がしっかりと書いてあったりしますよね。
二之鳥居を入った所にある御社で、平安中期の寛弘3年(1006年)にはお祀りされていた古社です。春日祭の祓戸の儀はこの御社前で行われます。読み方は『はらえどじんじゃ』です。
重要文化財
の正面の楼門です。表参道を歩いて回廊内に入る時に潜る門で、高さは12メートルあり 最大の門です。春日祭の折に、勅使(天皇陛下のご名大)が藤原氏以外であれば、この門より入ってお祭りを奉仕します。
※春日祭は非公開につき参列出来ません。
この門をくぐれば御本殿にまた一歩近づきます。御本殿いつか見てみたいですね。
社務所といえば、おみくじ?お守りなどなど気になるものが沢山ありますよね。お守りが大好きな私としては是非覗いてみたかったのですが、見たら買ってしまうと思ったので今回は覗かず帰ってきました。
巫女さんが、綺麗な藤の花の飾りを頭につけていらっしゃいました。許可を頂いてから飾りだけ撮影すれ ば良かったのですが、許可をもらってなかったのでなるべく巫女さんのお顔が写らないようにと加工してみました。ちょっと画像が粗いですね、申し訳ないで す。実際はとっても綺麗だったんですよ。
- 第一殿 武みか槌命(たけみかづちのみこと)
- 第二殿 経津主命(ふつぬしのみこと)
- 第三殿 天児屋根命(あめのこやねのみこと)
- 第四殿 比売神(ひめがみ)
は今から千二百余年平城(なら)に都が出来た頃、神代に功績のあらせられた、鹿嶋の武みか槌命を都の東方春日御蓋山(三笠山)の頂上浮雲峯にお祀りし、国土安穏?国民繁栄をお祈りしたのが始まりである。
称徳天皇神護景雲二年(768年)十一月九日今の地に社殿を造営し、香取の経津主命(又は斎主命とも申す)?河内枚岡の天児屋根命?比売神の三柱の大神を共にお祀りし四社明神と崇め奉ったものである。
創建以来上下の崇敬厚く、一条天皇永祚元年(989年)二月二十二日の御幸を始め行幸など三十余度、 藤原氏一門又衆庶の参拝夥しく(おびただしく)その折々の祈願?慶祝?報賽には種々の神宝調度の奉納?燈籠の寄進があり又御神徳は春日講の結成?春日曼荼 羅?三社託宣?御物春日権現霊験記となって現れ、且つ全国至る処に春日の分社が創建された。
境内は御蓋山及び春日野一帯約三十万坪が古来より境内地と定められている。
境内に異彩を放つ可愛い神鹿は、現在約千余頭でこれは御祭神武みか槌命が、鹿嶋から春日三笠山に御遷座の折お乗りになった白鹿の繁殖したものと伝えられ、以来神使として愛撫育成されている。
と書かれていました。御本殿には入っていないので、今回写真はありませんが機会があれば入ってみたいです。
重要文化財
中門は御本殿の直前にある楼門で約10メートルの高さがあります。中門正面の唐破風(からはふう)は明治時代に取り付けられました。
御廊は中門から左右に約13メートル、鳥が翼を広げたように延びています。現在御本殿の祭典では、神職の座る場所ですが、昔は興福寺の僧侶が御経をあげる場所でした。
の代表的な建物ですが、御本殿と間違っている方が多いようなのでご注意ください。
ご注意くださいと書きながら、実は私も御本殿だと思っていました。御廊は『おろう』と読みます。
重要文化財
南門をくぐると正面にあり『拝殿』と勘違いしそうな建物ですが、幣殿(へいでん)と舞殿(ぶでん)です。東側2間を幣殿といい、西側3間を舞殿といいます。
幣殿は天皇陛下のお供え物である御幣物を一旦納める建物で、幣殿の天井板は格天井となっていて、舞殿と区別しています。舞殿は宮中伝来の御神楽を行うための建物であり、また雨天時に神楽や舞楽を奉納する場所です。
では、毎年旧暦の八月七日に七夕節供祭を行っています。
どうやら笹の隣にある短冊に願い事を書き笹に結びつけるようです。
※初穂料はご志納です。
綺麗だなと思いつつ、願い事が思い浮かばなかったので、書かずに帰ってきますした。隣においてあったカラフルな短冊を見ていたらちょっと心を惹かれるものがあったのですが、折角なのでやっぱり何か書いてきた方が良かったですかね。
二十年毎に修理を執り行う式年造替(しきねんぞうたい)の原点
常日頃、大神様から頂いておりますお恵みに感謝し、そのご恩に対して誠心誠意こころ尽くして執り行うのがお祭です。 では、そうした祭典の中で二十年に一度執り行われる試行最上の祭典奉仕が『式年造替』です。
普段のご奉仕では出来ない御社殿の大修理と御調度品の調製、それに伴う諸儀式を執り行い、真心を尽くしてのご奉仕を行って、大神様がお悦びくださるその御神慮を有難く拝させていただくこと、これが神々への祈り?御造替の原点にあります。
平成二十七年に六十回目となるご造替を迎えます。
桧皮葺の模型なのですが、こんな風になってるんだなと興味深く見ていました。
下からはよく見えませんが、御社殿の屋根はこのように『檜(ひのき)』の皮を何枚も重ね、竹釘で止めています。
檜皮葺(ひわだぶき)のお屋根は二、三十年しかもちませんので、昔から二十年ごとに御造替を行って葺き替えてきました。
二十年というのは、若い大工さんが育ってくる頃でもあるそうです。
延命長寿の守り神
多賀神社は延命長寿をお守り下さるご神徳のある神様です。祈願絵馬に住所?氏名をご記入の上まごころこめてお参りの上ご奉納下さい。
廻廊内の北西隅に位置するこちらの御社は、生命をつかさどる延命長寿の霊験高い神様です。俊乗房重源が、その昔大仏殿を再建するときに寿命を頂いたというお話があります。多くの崇敬があり、延命長寿の『旙(ばん)』の奉納が絶えません。
※絵馬初穂料200円は、賽銭箱にお納め願います。
慶賀門を入った所の棚作りの藤で、5月初旬頃に花房が1メートル以上にも伸び、砂にすれることからこの呼名があります。
摂関近衛家からの献木と伝えられ『春日権現験記』にも書かれている古い藤で、樹齢700年以上といわれます。
また、境内の萬葉植物園には『藤の園』があり、20品種?約2000本の藤が植栽されており、たいへん豪華に開花いたします。
藤の棚の上から出ているのは霧みたいな感じのものです。藤も涼しくていいかも知れませんね。
重要文化財
回廊(かいろう)は概ね(おおむね)回廊内の四方を廻る建物です。
南回廊は南門を中心に東西に21メートルずつ広がり、両端は北折れして東西の回廊に繋がります。東回廊は約37メートルでほぼ中央に影向門があり東御廊と
接する所で終わります。西の回廊は約57メートルで南から慶賀門.清浄門?内侍門があります。北回廊は27メートルあり、西回廊とのみ接していて御本殿の
後に廻り込む前で終わります。東西の御廊の長さが違うのはこのような構造になっているからです。
当社の燈籠は石燈籠約2000基、釣燈籠約1000基の合計約3000基あります。
中でも全国で2番目に古い石灯籠といわれている伝関白藤原忠通奉納の「柚木燈籠」(1136年)や藤 原頼通の寄進と伝わる「瑠璃燈籠」(1038年)をはじめ、平安末期より今日に至るまで、その大半は春日の神を崇敬する人々から、家内安全、商売繁盛、武 運長久、先祖の冥福向上等の願いをこめて寄進されたものです。
特に室町末期から江戸時代にかけては一般庶民や春日講中からのものが多いです。
昔は燈籠奉納時、油料も納められ、その油の続くかぎり毎夜灯がともされていましたが、明治時代に入り神仏分離や神社制度の変革で、一旦中断したものの、節分の夜は同21年、中元の夜(8月15日)は昭和4年に再興され、現在の万燈籠の形となりました。
しかし、もっと古く室町時代や江戸時代に、 町の住人が春日参道で、雨乞い祈祷として万燈籠を行っていました。
記録には、興福寺大乗院の尋尊僧正の日記で、今から500年余り前の文明7年7月28日、「祈雨のた め、南都の郷民、春日社頭から興福寺南円堂まで、燈籠を懸く」とあり、当時は木の柱に横木をつけ、それに行燈か提灯の様な手作りの仮設の燈籠を懸け行って いたと考えられます。故に浄火を献じて神様に様々な祈願をすることが万燈籠です。
中元万燈籠は『ちゅうげんまんとうろう』と読みます。
一棟:元禄十二年(1699年)創建
元禄時代に時の将軍綱吉の母である『桂昌院』の寄進によることから、桂昌殿(けいしょうでん)と呼ばれていますが、『祈祷殿』といい天下泰平の祈願を修する建物です。
東方の一間、二間分が祭壇となり両脇の控間にわかれています。
一棟:市指定文化財
創建年不詳
明治時代に桂昌殿の後方部分が増築され、社務所として使われていた時の正門です。明治時代の『諸建築明細図』には の檜所(えどころ)であった上之屋(かみのや)の門を移築したとあります。四脚門は『しきゃくもん』と読みます。
- 御祭神:総宮大神.天照大神.八幡大神.春日大神.白山大神.三光宮.二上権現.窪弁財天.北向荒神.睡神社
- お祭:六月五日 午前十時
- 御神徳:住居をお授け下さると共に、居宅安全.防災.家内の和合をお守り下さる神様
総宮神社は『そうぐうじんじゃ』と読みます。
- 御祭神:一言主大神様
- お祭:六月五日
御神徳:一言(ひとこと:一件)真心こめて祈願すれば必ず叶えて下さる神様としてお参りが多い。
一言主様は一つだけ願い事を叶えて下さいます。
絵馬に一つ願い事を住所.氏名と共にご記入になり御神前へお掛け下さい。
絵馬.初穂料:500円
一言主神社月次祭
- 毎月二十日
- 午前十時 執行
当社では一願成就のご神徳にあやかり、毎月二十日に月次祭を執行致しております。祭典にはご自由に参列いただけますので、是非お越しください。
尚、祈願絵馬のご奉納とは別に神職がお祭りをご奉仕申しあげて、皆様の願い事を大神様に正式にお取次ぎ致しますので、ご希望の方はご神前の封書をご利用のうえ、お申込み願います。
一つだけ願い事を叶えてくれるというところに魅力を感じました。あちらこちらで思ったのですが、やっぱり何か書いてくるべきだったのでしょうか。