兵庫縣の福海禪寺大黑天小判型(繪錢福錢)
2016-3-18 11:44:43

福海禪寺大黑天小判型(繪錢福錢)
直徑:30mm 
兵庫縣福海禪寺大黑天小判型(繪錢福錢),出自有「足利尊氏」創立的福海寺,位於兵庫縣神戶市兵庫區的一所臨濟宗南禪寺派的寺院,山號"大光山".本堂上掛有由「足利尊氏」親自書寫的題字「福海興國禪寺」扁額。本尊釋迦牟尼佛.並且供奉有大黑天.是兵庫柳原大黑天信仰的中心。過去至今每年的一月9-11日都舉辦「柳原十日えびす大祭」的大黑天與惠比須大祭典,熱鬧非凡。這枚判金正面以大黑天圖像為主的【大黑天判金】,頭戴圓帽,背負一囊,持槌,站立在米袋上造型,福德像,背面【中】開運大黑天御守,【右】兵庫柳原,【左】福海禪寺字樣。

  背面【中】開運大黑天御守,【右】兵庫柳原,【左】福海禪寺字
 
    【註解】:福海寺(ふくかいじ,Fukukaiji) 
【歴史】
1344年(康永3年)に足利尊氏が在庵圓有(現在の兵庫県御津町室津の出身)を京都西賀茂の正伝寺(諸山)より招聘して創建し、足利義満はじめ足利歴代将軍に尊崇された。五山制度内での格式は諸山(永禄八年和漢禅刹次第)。また京都の久我に末寺の願王寺があった(蔭涼軒日録)。在庵和尚の出身地の兵庫県の室津、京都西賀茂の正伝寺、京都久我の願王寺(久我神社の神宮寺)はいずれも賀茂信仰と深く関わりがあり、京都から、室津へ延びる「賀茂信仰の街道」の中継地と考えられる。福海寺に大黒天が祀られているのも足利氏の大黒天信仰があるが、大国主の子孫である、賀茂氏と福海寺が深く関係のあったことにも由来すると言われている。 【開山在庵円有】
在庵円有は、俗姓賀茂氏。播磨国室津の出身。京都西加茂正伝寺の法位円性の法嗣であり、執権北条時頼の参禅の師である鎌倉建長寺二世、兀庵普寧の四世の法孫に当たる。最初、正伝寺に住し、その後足利尊氏の 要請により福海寺の開山になる。大変道徳が高く、学識深く、参禅する雲水、学者が大勢参集する。そこから福海寺の法堂は「雲會堂」と名づけられる。「大光 山 福海寺」の寺号は建武3年足利尊氏が兵庫の針ヶ崎観音堂に逃れ、兵庫の海から九州に落ち、その後また兵庫に上陸し、幕府を開いたことから、兵庫の海 が、尊氏にとって「福の海」であるという意味、観音信仰の「福聚海無量」の意味もあるが、同じ宗覚派で鎌倉和賀江に安達泰盛が 開基し廃寺になった、「福光山 聖海寺」の復興の意味合いもある。「福光山 聖海寺」の文字を並べ替え多少変更し「大光山 福海寺」の寺号にしたと考えら れる。東巌禅師も兀庵禅師より、将来寺院を建立したときのために「正伝寺」などの名前を貰っていたが、福海寺も建立に当たって、兀庵禅師ゆかりの名跡の復 興を考えたものと思われる。 貞和5年11月21日遷化。世寿84歳。遺偈は「八十四年 笑倒祖佛 一句臨行 寒嵐払払」とある(延宝伝灯録)。また肖像 画である頂相の賛は、天龍寺住持?埼玉平林寺開山の石室善玖禅師が次のように書いている。「佛鑑嫡裔兀庵真孫 掃除枝葉廊徹根源 権興名刹無刀斧痕 茆菓 一茎主元在 法身堅固鉄崑崙」。法嗣に無價掌珍禅師(京都五山萬寿寺住持?筑前聖福寺住持(第五十一世).福海寺住持)がいる。 【足利氏と大黒天】 足利氏の発祥の地である、栃木県足利市の鑁阿寺にも大黒天が祀られている。足利氏は大黒天を厚く信仰していた。 福海寺と兵庫七福神
福海寺は兵庫七福神の大黒天としても知られる。  弁財天 -  和田神社 寿老人 - 薬仙寺 福禄寿 -  真光寺  毘沙門天 - 能福寺 布袋和尚 -  柳原天神社 蛭子 -  柳原蛭子神社 大黒天 - 福海寺  【所在地】 兵庫県神戸市兵庫区西柳原町10-10  JR西日本山陽本線兵庫駅から徒歩5分  阪神電気鉄道神戸高速線大

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