のは一緒ですね。
実は私は手を清めるのはいいのですが、うまく左手に水を受ける事が下手で口を清めるという事がいつも出来ていません。
たまに参拝の仕方が違う神社があったりして、参拝の仕方がしっかりと書いてあったりしますよね。     

二之鳥居を入った所にある御社で、平安中期の寛弘3年(1006年)にはお祀りされていた古社です。春日祭の祓戸の儀はこの御社前で行われます。読み方は『はらえどじんじゃ』です。     

重要文化財
春日大社の正面の楼門です。表参道を歩いて回廊内に入る時に潜る門で、高さは12メートルあり春日大社最大の門です。春日祭の折に、勅使(天皇陛下のご名大)が藤原氏以外であれば、この門より入ってお祭りを奉仕します。
※春日祭は非公開につき参列出来ません。
この門をくぐれば御本殿にまた一歩近づきます。御本殿いつか見てみたいですね。     

社務所といえば、おみくじ?お守りなどなど気になるものが沢山ありますよね。お守りが大好きな私としては是非覗いてみたかったのですが、見たら買ってしまうと思ったので今回は覗かず帰ってきました。     

巫女さんが、綺麗な藤の花の飾りを頭につけていらっしゃいました。許可を頂いてから飾りだけ撮影すれ ば良かったのですが、許可をもらってなかったのでなるべく巫女さんのお顔が写らないようにと加工してみました。ちょっと画像が粗いですね、申し訳ないで す。実際はとっても綺麗だったんですよ。      第一殿 武みか槌命(たけみかづちのみこと) 第二殿 経津主命(ふつぬしのみこと) 第三殿 天児屋根命(あめのこやねのみこと) 第四殿 比売神(ひめがみ) 
春日大社は今から千二百余年平城(なら)に都が出来た頃、神代に功績のあらせられた、鹿嶋の武みか槌命を都の東方春日御蓋山(三笠山)の頂上浮雲峯にお祀りし、国土安穏?国民繁栄をお祈りしたのが始まりである。
称徳天皇神護景雲二年(768年)十一月九日今の地に社殿を造営し、香取の経津主命(又は斎主命とも申す)?河内枚岡の天児屋根命?比売神の三柱の大神を共にお祀りし四社明神と崇め奉ったものである。
創建以来上下の崇敬厚く、一条天皇永祚元年(989年)二月二十二日の御幸を始め行幸など三十余度、 藤原氏一門又衆庶の参拝夥しく(おびただしく)その折々の祈願?慶祝?報賽には種々の神宝調度の奉納?燈籠の寄進があり又御神徳は春日講の結成?春日曼荼 羅?三社託宣?御物春日権現霊験記となって現れ、且つ全国至る処に春日の分社が創建された。
境内は御蓋山及び春日野一帯約三十万坪が古来より境内地と定められている。
境内に異彩を放つ可愛い神鹿は、現在約千余頭でこれは御祭神武みか槌命が、鹿嶋から春日三笠山に御遷座の折お乗りになった白鹿の繁殖したものと伝えられ、以来神使として愛撫育成されている。
と書かれていました。御本殿には入っていないので、今回写真はありませんが機会があれば入ってみたいです。     

重要文化財
中門は御本殿の直前にある楼門で約10メートルの高さがあります。中門正面の唐破風(からはふう)は明治時代に取り付けられました。
御廊は中門から左右に約13メートル、鳥が翼を広げたように延びています。現在御本殿の祭典では、神職の座る場所ですが、昔は興福寺の僧侶が御経をあげる場所でした。
春日大社の代表的な建物ですが、御本殿と間違っている方が多いようなのでご注意ください。
ご注意くださいと書きながら、実は私も御本殿だと思っていました。御廊は『おろう』と読みます。     

重要文化財
南門をくぐると正面にあり『拝殿』と勘違いしそうな建物ですが、幣殿(へいでん

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